ふっふっふっ、なぜ?

気づくとおもしろい生き方

ああっ、悲しき調査員

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ナニを隠そう、私は秘密の調査員。

あるアプリからの指令を受け、しかるべき店に行きあらかじめ指令を受けたメニューを食べ、領収書を写真に収めアプリに送るという任務。

いつも夫婦で動く。
何故ならば食べた食事の20~100%は戻って来るからだ。

しかし、調査員であることを店主に悟られてはならない。隠密行動をしなくてはならない。

その日の指令は、初めてで、しょうが焼きを調査せよ。とのこと。
券売機でしょうが焼きのチケットを店主に渡す前に写真に収めなくてはならない。

距離がない。おまけにおお混み。

妻と二人あせった。
しかも、記念写真するほどの店でもなんでもなく、
パチンコ屋の中の定食屋さん。

パチンコで負けた感じの後ろの人も店主も迷惑そうだった。
第一のミッションをなんとかクリアし、
肩で息をしながら、妻と二人ようやく席についた。

妙な緊張感、高鳴る鼓動。

小心者のふたりは次のミッションを確認しあった。

トイレだ。

店のトイレは綺麗か見てこいとの指令文があった。
私はそそくさとしたくもないトイレへ。

客層が良くないせいか、元々汚いのか?
目も当てられない状況だった。

ゼーゼー言いながら、席に戻るとしょうが焼きを前にして妻がうろたえていた。
少し焦げているとのこと。

そうだ、次のなるミッションは一番大切な部分。
メニューの撮影だ。

調査項目に焼きすぎてないか?
なんて書いてあったのを思い出した。

妻は箸でキャベツを少しかけて、隠してあげようとしていたが、私は無言でそれを制止した。

あくまでも店主に悟られてはならない。

正直に伝えないと私たちの命があぶない、などと勘違いしはじめていた。

私は素早く箸でキャベツをよけて、即座にケータイでしょうが焼きを連写した。

あまりのカシャカシャ音に周囲のオッチャン達は
『ん?なんだなんだ?』光線を発していたが、もう次の瞬間には私と妻は脇目もふらず、しょうが焼きを食べはじめた。

全体的に味もわからないうちに、食べてしまった。

しかし、私ら調査員が今日来ているとはわからない店主は明らかに手抜きしていることがわかる。

写真のしょうが焼きはキャベツの量が半端なく多く、現物は少ない。肉の大きさも心なしか、小さく感じた。

『ふっふっふ、テヌーキーはいかんよ』

非情な調査員は報告を完了したのだった。

次はあなたの街かもしれません。


覆面調査ミステリーショッパーのファンくる

ダメな子なんていないよ❗無理だと子供に言わないで

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よほどたまっていたのだろう❗

近所のおばちゃんが話をしにやって来た。

夜の10時。

さあ、風呂でも入ろうかとおパンツに手を掛けた時。
ピンポーン。

トイレに入ってた妻は便秘なので戦闘中。
「でてチョーダイ」
と自分の糞に言ってるのか、私にお客さんの対応しなさいと言ってるのかわからないが、とにかくおパンツを上げて玄関へ。

玄関先で近所のおばさんと話して見たものの、あまりの寒さに「どうぞ中へ」と言ってしまったのがいけなかった。

私は結論から話を聞くのがとても楽チンなのですが、おばさんのお話は
むかーし、むかしあるところにおじーさんとおばーさんがおったそうじゃ。

ここから始まる話がほとんど。

そして、ようやく話は2時間、いつしか便秘妻も戻り佳境を迎えた。

内容はこうだ。

自分の子供は3人で上の子二人は、公務員になった。
しかし下の子は、ゲームばかりで1日飯も食べない。高校すら通わなくなってきた。
ユーチューバーになりたいと言ってきたがそんなの無理だと大反対している。いい加減でいやだ。心底いやでたまらない。

そうだ。
確かに悩むかもしれない。
よくよく考えたら 、我が家の一番下の子、もっとひどい。

でも、大丈夫だと確信している。
確信の根拠なんて、何もない。

ただひとつ、おばさんと違うのはやりたいことに反対してないこと。
逆に応援していること。

たぶん私の親父が聞いたら、発狂しておパンツを被ってしまうほどバカらしいと言うだろうが、それでもいい。

ユーチューバー、とても大変です。
でも楽しんでやってる。

これからの世の中は楽しみながらお金を稼ぐことが主流になっていくと思う。

カチカチのスーツ着て、通勤する方が珍しくなる世の中になっていくような予感がする。

そもそもインターネットで世の中変わっているのだから。

いつか家からでない彼らを刺激する何かが現れると感じている。

だからやりたいことをやらせればいい。

おばさんは今一つ煮え切らない顔で帰って行きました。

午前様。

「よしなよ」って子供を叱るとき

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子供のころ、一番叱られた思い出は、学校の帰り道の畑でスイカを発見したことから始まる。

友達二人で持っていた木の棒で割ってみたのがいけなかった。

次から次へと割り始め、とうとう全部やってしまった。

全く関係ないおじさんに捕まり、家まで連行された。
親父が呼び出され、事情を聞いた親父は突然怒りまくり胸ぐらつかまれて、窓の外まで殴られた。

全く関係ないおじさんも止めに入ってくれたが、
親父は止まらなかった。

親父は目に涙を溜めて殴っているのが不思議だった。
決して人前で泣かない親父が泣いていた。


なんだかとてつもなく悪いことをしたんだ。と、その時、思った。

今自分で畑をやっているが、今だったら果たして許せるだろうか。

孫においしいスイカを食べさせてやりたい。
よしよし。

なんて大事に育てていたかと思うと、なんてひどいことをしたのか!

人という字は寄り添って出来てる字。
迷惑掛け合って生きてる。

とはいえ、私のしたことはいけないこと。
親父の真剣さで気がついた。


私が子供を叱る基準はふたつだけでした。

1 人に迷惑かけてないか
2 体が危険な状態じゃないか

飛び出しや携帯見ながらの自転車なんて見るとめちゃくちゃ叱ります。

このふたつ以外は何やってもOK。

一から十まで怒ってる人見ると、よく疲れないなあと感心します。

電車の中で赤ちゃん抱えて、静かにさせようとしているお母さん、可哀想。

だって赤ちゃん、泣くのが仕事。

迷惑だろうか?

赤ちゃんの泣き声聞くと、天使が泣いとる、と思うけどなあ。

迷惑だと思う人も元々赤ちゃんだったのにね。

大仏ブルース

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茨城県牛久市にある牛久大仏に行って来ました。
稀勢の里の故郷ですね。
近くなるとどこでも、あそこに大仏がいる。とわかります。

高さはなんと120mで、青銅製の作り物では世界一ということでギネスブックにも認定されているそうです。

左手だけでも鎌倉の大仏が載るそうです。

大仏の周囲にはお墓の好評分譲中で、東京の人も買っているようです。有難い大仏様が常に見守ってくださるそうです。

大仏さんの中はビルのようになっていて、エレベーターがついています。乗ると不思議な音楽(ヒャーヒャー音)でお迎えしてくれます。

未来の大仏イメージですね。
ハイテクになればなるほど胡散臭くなるのは、
どうしてなのでしょう。

私だったら大仏の容姿から昭和風のブルースでお迎えしてほしかったなあ。
強そうな村田英雄でもいいかな。古いか。

どうも作り手の気持ちを考えたときに、もともと大変大きな思いがあって、お墓の方々が成仏出来るよう、心を込めて作りました。

なのか、宗教法人金あるし、このドでかい大仏で一儲けしてやるぜ、フッフッフ覚えとけよ。

なのか。

私にはわかりませんでした。

嗚呼っ、常磐線❗

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子供の頃、おふくろの実家に行くときは信越線から上野で乗り換えて常磐線

信越線では何故かわからないが、品のいい御婦人がいて、おじさんたちも紳士的でした。

とにかくおふくろは隣に座る人に何かを話しかけないとすまない人で信越線の中で色々な人と話しては冷凍ミカンをゲットしたり、かりんとうを分けたりしていました。

上野に着くとおふくろの表情がほころびます。

常磐線に乗り込むと車内の風景が一変します。

頭にハチマキしたおじさん達が日本酒🍶呑みながら競馬の予想していたり、疲れきって缶ビールを持ったまま寝ているおじちゃん、タバコは吸い放題なので車内は煙モーモー!

ダンボールをひっくり返して花札🎴

異様な臭いが否応なしに鼻にもぐりこんできます。

みんな大声で楽しそうに話をしていた。

おふくろは直ぐにみんなに話しかけ、着く頃には車内のアイドルになっていました。


今から考えると、とても元気のある時代だったなと思います。
根底には、どうせみんな一緒だろ。
帰ったら、飲んで、食って、やって、寝て。
みたいなのがあって、だったら人生楽しまなきゃ❗


そんな裏の声が聞こえてきそうな常磐線でした。

今、その常磐線に座ってこれを書いてますが、
だれひとり声を発しません。

あの頃の常磐線はどこへ行っちまったの?

私もこうしてブログを書いていると
ああーこれが今なんだ。と思う。

あの頃のきったなくて、うるさくて、人情味あふれる常磐線にもう一度乗ってみたい。

犬のかんた君に会いたい❗

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子供たちが小さい頃、近くのショッピングセンターへ連れてお買い物へ行きました。

そこの駐車場で、たまたま犬の里親さがしをやっていたのです。

ダンボールの中にいたのは、雑種の子犬が6匹、「ピーピー」泣きながらうごめいていました。

娘は買い物にも行かず、動こうとはしません。
買い物を終えても帰ろうとしませんでした。

「帰るぞ」

「いやだ、連れて帰る❗」


その日から我が家に家族が1匹増えたのでした。

早速子供たちは名前を決めるのにケンカが始まっていました。
アニー
マイク
ブレッド
ダビンチ

どう見ても日本の雑種。
「かん太」と名付けました。

どこのドッグランに行っても、血統書付きの外来種ばかりで、うちのかん太君だけが雑種でした。

あまりの可愛さに皆さんが「何犬ですか?」とかなりの人に聞かれましたが「ミックスです」と答えると皆一様に『なんだそうか』といった顔でそそくさといなくなってしまいました。

大きくなればなるほど雑種であることが明確になっていきました。そんなことは全く気にせず、
月日が経つとホントに家族の一員になりました。


庭の一角に居を構え、かん太君は立派な番犬として、我が家になくてはならない存在になっていました。

子供達は学校に行く前に必ず、かん太君をいい子いい子して、かん太君にヒトペロリされてから登校するのが日課になりました。

夕方、子供達が帰ってくるとそれはそれは喜んで迎え入れてくれるのです。

エサやりはみんなで交代でやりました。
みんな食べ終えるまで戻ってきません。

散歩に行けば、かん太君はみんなの愚痴聞きです。
『そうか、そりゃ大変だね』
『良いことがあるさ』
かん太君にペロリと手をなめられてというか、なぐさめられて散歩から帰ってくるのです。


そんな日々が5年ほど続きました。

早朝、かん太の変な鳴き声で目が覚めました。

聞いたこともない悲痛な鳴き声でした。

いつもと寝ているところではなく、ウッドデッキの下でこちらにお尻を向けて横たわっていました。

いつもなら玄関の音で出て来て、尾っぽを振って待っていてくれるのに、全く動いていないのです。

おしりの辺りには血が見えました。

「おいどうした、かん太❗」

かすかに顔をあげましたが、妙な唸り声しかあげません。

獣医さんに電話しましたが、まだやってないようです。

子供達の登校時間に合わせてみんなで素早く朝食をとりました。


するとどうしたことでしょう。

かん太は最期の力を振り絞り、いつも子供達を見送る定位置まで出て来ていたのです。
歩いた後には血のあとが付いていました。


子供達は泣きながら「帰ってくるまで生きてろよ❗」と口々に言いながら登校していきました。

かん太君の目の焦点が合っていません。
必死に見送っていました。

私は仕事を休むことを決意し、かん太に寄り添いました。

一番下の子が登校していくのを確認したかん太は頭をもたげることもできず、鼻を地面に付けたまま動かなくなりました。

急いで抱きしめ動物病院へ行きました。
「生きてくれー、生きてくれー」

心の中で神様に祈りました。


もう、虫の息でした。


先生が心臓を一時間もおし続けましたが、
かん太は帰ってきませんでした。

散歩のときに除草剤をなめたのが原因ではないかとのことでした。



家族のなかに大きな穴がポッカリあいてしまいました。
トイレにいても台所にいても、かん太がチョロチョロしているようで不思議な日が続きました。

子供達にあのあとのことを伝えるとみんな泣いていました。

かん太君は私たちにとても大切なことを教えてくれました。

もういなくなって6年も経ちますが、未だにかん太に会いたくてたまりません。


かん太、出て来てまた手をペロリしてくれよ。

悪い人ほど悪そうな顔でいてほしい件

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若い頃九州の田舎のパチンコ屋で知り合ったオッチャン。
一緒にスナックに呑みに誘われた。

「おー、わけーの、まあ呑めや」

ふたりで呑んでいると、恐そうなオッチャンの部下らしき面々が入ってきては、耳打ちして出て行った。

「ところで、オッチャンさあー、なにやってる人なんですか?」

私が聞くと

「裏の世界の人間だよ❗」

ということは、、、


確かに怖い顔してる!


数日後、またパチンコ屋で顔を合わせた。

「おー、わけーの、今度運動会あるから来てくれねーか?」

なんだかわからないが、行くことにした。


日曜日。ある高校のグランドを借りきって凄い人。

『ん?』


見ると派手なおねーちゃんやら怖い顔のおじちゃんがたくさん。

いつものオッチャンが中心にいた。

どうもオッチャンはヤク◯の親分さんらしかった。


「おー、わけーの、来てくれたかい、あんた本町通りの応援団長たのむぜ!」


わかってきたことが、いくつかあった。

1 私の呼び名は、「おー、わけーの」であること
2 この運動会はいわゆる彼らが管轄する島ごとに組分けされていること
3 オッチャンは親分であること


いよいよ運動会が始まりました。
派手なおねーちゃんたちも何故か手を後ろ手に縛られパン食い競争のパンをかじっていた。

縛りかたがやけにうまい!

よくよく聞くと本町通りは1度も優勝したことがなかったそうだ。

樽酒をしこたま飲まされた私はヘロヘロになりながらも応援団長を一生懸命やりました。
しかも知ってる人は誰もいないという状況の中です。

そしていよいよ最後の種目、学校のまわりをナゼか3周するというクライマックス。

種目のたびに組のぶちょーみたいな怖い顔した人がいて、「次はアキコがはしれ」だの「よしおマスターが行け」だの指示を出していた。

私は応援団長だし、もうヘベレケなので大丈夫だろうと思っていたら

「おー、わけーの、次行ってくれ」

よりによって、次の競技というか罰ゲームというかこれに一番を取ると、長い歴史のなかで初めて本町通りは優勝するのだという。

走るのは得意だった私は、とはいえもうヘベレケなので、破れかぶれで走った。

途中何度かゲロをゲーゲーやりながら、
なんと一番でもどったのです。

本町通りは大騒ぎ。キレイなおねーちゃん達からチュー💛してもらえました。


それ以来本町通りではほぼタダで飲ませてもらえるようになりました。

それからオッチャンはとても良くしてくれました。

しかも、とても紳士でした。




その当時、チンピラや威勢のいい街の悪い奴らはみんな悪い、恐そうな顔をしていました。

目を合わせると「テメー俺にガンつけやがったなー!」と因縁をつけられ、ボコボコにされたものでした。

猫にまで学ランを着せて、ナメネコなんてのもあったぐらいです。


でもでも今から考えると、俺は怖いやつだからなめんなよ。っという自らの主張だったと思います。

今の世の中のように匿名でネットに人の悪口書いたり、告げ口したりしてるよりは、とても健全な世の中だったと思います。


おまけに殺人の犯人をテレビで見ても、ごくごく普通の顔をしてるではありませんか。


オッチャンはよく言ってました。

「かたぎの人のほうが、俺たちよりよっぽど残酷でこわいよ」と。

私の師匠は蚊❓

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80坪の畑を借りて毎年耕していますが、
5年ほどたった頃に東北大震災がおきました。

次の年、夏の暑い日。

私はワンサカ出て来る雑草と大汗💧かきながら格闘してました。

常に私の回りには8匹ぐらいの蚊が飛び回っていました。

ふと、手を休めるとヒザの上に1匹の蚊が止まっていました。

いつもなら、すぐ叩いてしまうのですが、なぜかその時は観察してしまいました。

うまく刺せないのか口の針をあっちこっち刺していました。

「んー、ここじゃないわね、ここか?」

顔を見るとなんとも困った様子。

すぐに血管を水脈といいますか、血脈を探し当てたようです。

すると、おんなじ顔ですが、

「おいしいわ、たまりません、最高よ❗」

という顔に見えました。

頃合いを見計らって、私は手のひらで叩きました。


先程まで私の血をチューチュー💛と嬉しそうに吸っていた、まさに数秒前の彼女が手のひらの中で
押し花のようになっているのです。


私は思いました。

彼女の人生というか虫生はいったい何だったのだろう?

雑草抜きの手が止まりました。

『まてよ、じゃあ俺の人生っていったい何なの?』

それから夕方まで自分が生きている意味を考え続けました。

自分のため?
子供たちのため?
親のため?
幸せのため?
となりのばあさんのため?

色々なことが頭を巡りグルングルン回ってしまいました。

答えがでませんでした。

一体私はなんのために生きているのでしょう?



ある日、震災のその後をテレビでやっていました。

想像もつかないほどの現実に東北の方々は置かれていました。
夢を断たれた子供達までいました。

その時、つぶれた蚊を思い出したのです。


「これだ❗」


「人のために生きよう❗」

意外と答えはシンプルでした。

蚊の彼女が教えてくれたこと。

白いものは、やっぱり白❗

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食堂で同僚3人とマグロの竜田揚げを注文し、あとから上司が来るとのことで、上司の分も注文して3人とも待っていました。

以前こんなお話しを聞いたことがあったので、二人に話をしました。

ある会社で重役会議があって、社長が窓の外を見ながら「おっ、あんなところにツルがおる❗」

すると重役みんなが「ツルですな、社長❗」
「間違いなくツルですな❗」と口々に言っていたそうです。

そこへお茶を運んできた平社員が「何いってんですか、あれはサギっていうんですよ!きったない川や田んぼにいるやつですよ❗」と吐き捨てるように言ってお茶をおいて出ていきました。

重役たちはサギだと全員が知っていました。

後日その社員は地方に飛んだそうです。


こんな話を私がして、皆でクスクス笑っていたら、
上司がきたので、マグロの竜田揚げを食べ始めました。すると上司が

「この鶏肉はうまいねえ~」

私以外は「ホントにうまいですなあ~」と言ってましたが、先程の話をしてたのに私はつい、

「何いってんですか、これはマグロですよ。
マ、グ、ロ❗」


このあと単身赴任になったのは、言うまでもありません。

大人になることは一生できないかもしれません。

ステップファミリー体験記 その4

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こりずに3度目の結婚へ

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バツ×2、子供3人の私と、バツ×1、子供2人の妻との結婚物語です。



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子供3人、父子家庭の地獄

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二人目の妻が家を出た、次の日。

日曜日。

いつもなら遅く起きて、アクビしてケツでもかきながらタバコふかして、新聞読んで
ひとり「ヘックション!チキショー」なんて
言っていれば良かったのですが、、

『待てよ、今日から俺が全部やらなきゃいけないんだ!』

子供達はまだ寝ていたのが、急いで飛び起きて冷蔵庫を開けてみる。

「ゲッ!何もない」

日曜日は不燃物?可燃物?そんなのないか?

学校の予定は?下の子(小学校新入生)の入学式はいつ?真ん中のねえちゃんのバレエ教室はどうしたらいいの?野球チームの弁当はどうする?犬の散歩の糞の始末は?

次から次へと疑問が浮かんできたら、どこから手をつけて良いのやら、
『ここはコーヒーでも飲んで考えよう』と思い天を仰いだ。

『きっとこれは神様からの試練だ❗』

やってやろうじゃないの!
俄然勇気が湧いてきて、買い物袋をふたつ肩に担いで颯爽と買い物に出かけました。

頭のなかで献立を考えながら、1週間分の食材をワンサか買って帰宅。

次は掃除機、次は洗濯、ホッとしたら昼飯の支度。

『待てよ、今日は休みでいいけど、明日から仕事だー😭』



次の日から地獄でした。
朝早く起きて朝飯作って、寝ている子供達に文句言われながらも、掃除機かけて。
洗濯してみんなを見送ってから、出勤です。

帰宅すると下の子の児童保育の迎え、バレエの送迎、上の子の塾。

これが毎日続くのか?

主婦は大変なんだなー、屁こいて煎餅食べながら昼ドラ見てるだけじゃないんだ。っとつくづく思いました。

1ヶ月もするとだんだん疲れてきました。

夕飯のシチューを作りながら立っているのが、とても辛くなり床にへたりこんでいたら、そのまま寝てしまい、部活から帰って来た長男が「オヤジ、焦げてるよー」と慌てて止めてくれたことがありました。

その日、焦げたシチューの生き残ったところを食べながら、親子4人で役割分担を話し合いました。


長男はゴミだし。犬の餌やり。
長女は便所掃除。
二男は風呂の湯はり。

犬のカン太君の散歩は4人で輪番制とした。

『すまないなあ』
心の中で子供達にわびました。


ちなみにカン太君は庭に住んでいる柴犬で、散歩中に公園のベンチで色々な愚痴をよく聞いてくれた可愛いやつです。



私は妙な信念があって、絶対にコンビニ弁当は買わない。手で作るからいつか気持ちが伝わると確信している。だから、出来合い物は一切買わない。

きつくても、これだけは守り続けました。

見かねたおふくろが遠くから来てくれることもありました。子供達に新鮮な野菜を食べさせたくて80坪の畑を借りていたので、荒れ放題の畑を再生してくれたり頭の下がる思いでした。


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運命の出会い

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そんなこんなで半年が過ぎ、ようやくなれた頃
以前東京で勤務していた頃の上司が定年ということで、お別れ会に出席しました。

朝からカレー、おかずを作り置きし、子供達に留守番をさせました。

帰る途中、品川駅で乗り換えで歩いていると、顔見知りの女性に出会いました。

以前は超デブデブでしたが、モデルのように細身でしたが、顔の大きなほくろでもしかしたらと思い、声をかけてみました。

「あらまー」

昔、職場に出入りしていた商社の方でした。
彼女も覚えていてくれました。

「お茶でもどうですか?」

ということで夜に喫茶店なんが見当たらないので、
なぜかカラオケボックスに行くことになりました。

こちらの事情を話したら、あちらも同じような事情でした。二人で散々歌を歌って、その日は連絡先を交換して帰りました。

その後。

話はトントン拍子に進み、自宅に遊びに来ることになりました。

続く