ステップファミリー体験記その3
私の2度目の結婚から破局へ
バツ×2、子供3人の私と、バツ×1、子供2人の妻との結婚物語です。
懲りずにまたゴールイン!
アフリカから戻り、コンビニを見かけるたびに
ニカニカしてました。
食べたい時に好きなものが食べられる。こんな幸せありますか?
当たり前が有り難いことですね。
ただ寂しいのは夜の星が極端に少ないことです。
アフリカの夜空は、これでもかってほどの星が
本当にギラギラしてました。
星明かりで夜道が歩けるのですから。
とにかくアフリカの子供達の可愛さに心をやられてからというもの、誰でもいいからツガイになって、
子供を育てたいなどと思うようになりました。
つまり、自然界でいう単なるオスですね。
そこには一般的な人間のオスではなくて、オス!
過去の手帳を引っ張り出して、過去お知り合いになった女子たちに片っ端から電話しました。
するとひとりがヒットしたのです😃
やはり、行動あるのみだ。早速会う約束をし、
紆余曲折を経ながらも、なんとそこから、1年後に2度目の結婚に成功したのでした。
お嬢様育ちのボンボンでした。
よりによって新婚旅行は、またオーストラリアでした。
今度こそアボリジニのおじさんには目もくれないぞ、っと心に誓い、ひしっと手を繋いで歩きました。どうでもいいコアラを抱きしめ、自然のイルカを追い回すツアーにも真面目に参加しました。
何事もなく日本に帰国し、それから1年半後。
ポンッ!ポンッ!ポーン!
3人の子供達が生まれてきました❗
このうれしーこと、うれしーこと。
アフリカの弟子たちに教えてあげたいほどです。
だれひとり空手をやりたいという者はおらず、野球、バレエ、サッカーとそれぞれ好みが違いました。
怪しい雲行き~
ドタバタ14年が経ちました。
家を建てると、なぜか単身赴任!
もう、ローンで逃げられないだろうということでしょうか。
2年間現場の長として、会いたい子供とも会えず
ひたすら我慢の日々でした。
部下の悩みを聞き、遅く帰ってパンツを洗う日々。
二重生活は金がかかるので、近くのスーパーが
夜8時を過ぎると惣菜の叩き売りを狙って買い物かごにホイホイ入れてかえる日々。
こんなのが2年間続きました。
久しぶりに家に戻ると子供達が喜んでくれました。
っが、妻の様子がなんかおかしい!
やけに冷たく、無視が増えました。
新築の家、3人の子供達、なに不自由ない暮らし。
ん?どしたどした
ん?ん?
何気なく2階の部屋のパソコンを見ると、何やら会話らしき内容が表示されていました。
あきらかに何者かと不倫している内容です。
ここに書くことも出来ないような内容です。
私はトイレに入り、今後のことを考えました。
するとこれから起こる何とな~く恐ろしいことが容易に想像ができ、震えてオシッコがあっちゃこっちゃ行ってしまい、的がしぼれなくなりました。
しばらく便所で頭を抱えて、出した答えが
「子供達ことを考えて、1年間まってやる。それまでに心がかわらないなら別れよう」
妻はしまった、みつかっちまったか。
てな顔をしてあいかわらず😠💨こんな顔してました。
男は浮気してもパソコンでいうとワードの中の文章を消す感じですが、
女の人の浮気はWindowsごと消される感じがします。わかりますかねえ。
つまり全消去。
こんな感じで冷たい生活が1年間続きました。
こんな時に?
1年後にその時がきました。
和室に正座をし、みんなが集まりました。
っということで、ってどういうことか
よくわからないだろうけど。君たちのお母さんは出ていくことなった。なぜか司会の私。
子供達は覚悟していたのだろうけど、こらえきれずワンワン泣き出しました。つらいときでした。
そう説明し、今日までのお母さんの一言の番です。
「ぷーっ」
この悲しい絶頂の時におならをしたやつがいる。
別の意味で悲しいかな、妻のおならでした。
もうダメです。
何を言ってももうダメです。
私の頭の中では、今の音が何度も再生され
最後まで消えることがありませんでした。
14年間一度も聞いたことがなかったおならの音をここで聞くとは。
なにやら子供達に言っていましたが、私の耳にはおならの音しか残りませんでした。
なんてことだ。
二度目の印かんを押したのは次の日でした。
続く