ふっふっふっ、なぜ?

気づくとおもしろい生き方

親孝行って、何すりゃいいのよ?

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1年前、おふくろが旅立った。

 

若くして身体の弱い私を出産し、ろくに遊べず病院に通う毎日

それでもおふくろの努力の甲斐あって育つ

私は16歳で家を出てから、それっきり帰郷するのはお盆の数日だけ

 

母の口癖は「人様にだけは迷惑かけるなよ、人のためになる人になれ」

全国点々とする仕事だったが、

どこに行っても秋にはリンゴ、ブドウを送ってくれた

そんなことが30年も続いた

 

旅立つ5年前からおふくろは頭の神経が溶ける病気となり、

徐々に手足が動かなくなり、ついには階段の最上階から転落した

 

はっ、として車をとばして帰郷

まだまだ元気だと思っていたおふくろが頭に包帯して横たわっていた

 

いったい私はおふくろに何をしてあげたろうか

タンスの中には私の仕送りの封筒や手紙、写真があった

ひとりで見ているところを親父は見ていたそうだ

 

親孝行ってなんだろう?

 

気付けばおいしい物も流動食しか食べられず、

旅行にも行けない

まともに話すらできない現状

 

私は介護施設に入った母に会うため、

有給休暇をつけて、毎月6時間かけて通うようになった

 

食事を食べさせたり、トイレに連れて行ったり、話をしたり

30年の空白を埋めるために

いまさらバカだなあ、つくづく思った

 

自宅に戻るときは決まって、おふくろは人目をはばからず

大声で泣いた

「まだいろよー」

「かえるなよー」

うまくしゃべれないのに、腹のそこから絞り出した

 

おふくろの中ではまだ3歳のころの私がいる

ヘルニアでどうにもならなかった私がいる

 

しだいにおふくろは、会いに行くたびに弱っていった

食べ物すら呑み込めなくなっていた

 

「とんかつ食べたいな」

 

ボソッとつぶやいた

旅立つ2年前の正月に親父と話し合って

家で正月やろうと決めた

 

医者には止められていたが

これ以上小さくできないぐらいに切った

とんかつをソースたっぷりかけて食べさせた

 

「こんなうまいとんかつは生まれて初めてだ」

 

おふくろは泣きながら

通訳が必要なぐらいな言葉で言った

 

その後、介護施設誤嚥(ゴエン)といって

食べ物が肺に入ってしまい呼吸が出来なくなり

心肺停止15分

とうとう植物人間になってしまった

正月にはとんかつを食べていたおふくろが

 

それでもおふくろには毎月会いに行った

今度は親父も心配でたまらなかった

 

病状は悪くなる一方

親父も疲弊していった

 

そして旅立ち

 

やれることはやった

でも悔いが残った

 

 

次の年、四国で大雨による災害が起きた

SNSで子供を抱えた家族が家財道具一式流され

どうにも困っていることを知り

ガステーブル2セットを送った

 

今までは自分のところで起きなくてよかった

としか思わなかった

 

数日後、お礼の手紙が届いた

すごく喜んでいただけたようだった

 

これで子供のミルクや家族の料理が作れるんだ

みんな笑って食事ができるんだ

そう思うとうれしくなった

 

なぜそんなことをしたのか

自分でもよくわからない

 

ただおふくろの

「人様にだけは迷惑かけるなよ、人のためになる人になれ」

 

これがおふくろへの親孝行なのかなあ

と思ったから